第一章 生活篇 ● 1. 不安の解決
■質問
 私は何ひとつ不自由もなく、他人からは羨まれるような境遇にあるのですが、時々とても不安でならないことがあります。この不安が何に原因するか知りませんが、とにかく安らぎがないんです。
 不安とは一体何か、又、それをどのように克服したらいいかお話し下さいませんか。
■答え
 これは複雑な時代に生きる私たちにとって切実な問題ですね。今日、最も広く行きわたっている悩みは不安ではないでしょうか。この瞬間にも世界の至るところで、人々は死と隣合せた不安におののいているのです。しかし、これは他人事でなく、この放送を聞いておられるあなた御自身の問題でもあるのですね。こうした不安には、はっきりとその理由のわかるものと、別にこれといった特別な理由をあげることの出来ないものがあると思います。

 E.スタンレー・ジョンズ博士は、不安とか心配には二重の性格があることを指摘しています。すなわち、一つは不安のもつ積極的な一面、他方は消極的、破壊的な一面です。今、きっと何人かの方々が車を運転しながら、この放送をきいておられると思います。実は、私自身、日頃、ハンドルをにぎっていますが、全然、不安を感じないということはありません。ところで、この場合の不安、又は心配は、決して私たちを無謀な運転に追いやらないという利点がありますね。外科医の抱く不安は、手術にあたって、誤ったところを切らないように注意を促すでしょう。もっとも、ゆきすぎると、不安はあなたをあがらせてしまうでしょうが。このように健全な意味での不安は熟練や力を与えますが、不健全な意味での不安は、逆に私たちを押さえつけてしまいます。ところで、今、私たちが問題にしているのは、むしろ、不健全又は破壊的な意味での不安でしょう。

 第一に、こうした不安は、私たちの肉体をすら蝕んでしまいます。私は、かつて極端に病菌を恐れる御夫妻を知っていました。彼らは、どこへ行くにも、消毒用のアルコールをしみこませた脱脂綿を肌身はなさずもっておられました。ところで、その御家族が健康であったかと言いますと、それとは全く反対で、いつも病苦に悩んでおられました。彼らの場合、不安の方が、病菌よりも有害だったに違いありません。取引所の株価が暴落すると、胃潰瘍がふえるという記事を読んだことがあります。不安は胃酸を過多にし、消化器官をこわすのでしょう。

 第二に、不安は、周囲の人々にも悪影響をもたらします。たとえば、両親が不安におののきながら生活していると、子供たちは敏感にそれをキャッチし、落ち着かなくなります。不安は常に周囲に連鎖反応をひきおこします。以上は、不安のもたらす悪影響のほんの一部を紹介したに過ぎません。

 ところで、その解決があるでしょうか。あります! 数年前、信仰をもって天に帰った家内の母の遺品の中に、読み古された大きな革表紙の聖書がありました。彼女は、どこへ行くにもその聖書と賛美歌を持って歩きました。葬儀の日、櫃を前にして、私たちは懐しくその聖書のよれよれになった頁を開いていました。あちらこちらに赤や黒の傍線がひかれ、短い覚え書きすら読まれました。その中で何ヶ所か特に愛読し、念入りに読まれたと思われる箇所が私達の目にとまりました。その中の一つが新約聖書のヨハネによる福音書14章1節の聖句です。

 「あなたがたは、心を騒がせないがよい。神を信じ、また、わたしを信じなさい。」

 これは主イエス・キリストの御言葉です。戦争中、主人を満州で亡くし、それ以来、女手ひとつで六人の子供たちを育てあげた母は、どちらかというと苦労性でした。しかし、その母がキリストに幼児のように単純な信頼を寄せるようになって、その生活態度は驚くばかり変わったのです。「あなたがたは、心を騒がせないがよい、」この聖句は生前、クリスチャンであった母の心の奥深くきざみこまれていたに違いありません。亡くなる間際に、まわりに集まった息子、娘たちに「心配ないよ、心配ないよ」と言いながら、天国に帰りました。

 不安から解き放たれるために、あなたも、この主イエスのみことばを繰返し、繰返し暗唱してごらんなさい。この聖句にとどまりません。聖書を読んでいて、大きな安らぎを与えられた箇所がありましたら、それも書き抜くか、傍線を引いて、心に焼きつけられるまで読まれることです。母は、これを実行し、彼女の不安を解決出来る唯一のお方、神の御手に凡てを委ねていました。あなたも「平安あれ!」と仰せられるキリストを仰ぎ、神と共なる安らぎの生活に進まれませんか。