第一章 生活篇 ● 3. 受験生諸君、頑張れ
■質問
 今年も間もなく受験シーズンを迎えようとしています。日夜、精出しておられる受験生の皆さんには心から声援したい気持ちで一杯です。ところで、試験に限りませんけれど、何か重大な事をやりとげようとする場合、自信があるとないとでは随分違うような気がします。そうした意味で、確信をもって人生の一大試練にのぞむ秘訣について、聖書の立場からアドバイスしていただけませんか?
■答え
 はい。これは前から一度取り上げたいと思っていた大切な問題です。私の場合、三十を過ぎて留学した関係もあって、いわゆる学生時代は、期間的にも非常に幅の広いものになってしまいました。それだけに人一倍、学校での試験を受ける機会は多かったように思います。今でも時々、試験で苦戦している夢を見るのはそのためかもしれません。勿論、試験は学生時代ばかりのものでなく、広く人生にはいろいろな形のテストがあるといっていよいでしょう。俗に試験地獄という言い方をしますが、自信無くこわごわ受験しなければならない人にとってこれくらい嫌なものはないと思います。しかし積極的に試験に臨もうとする人にとって、むしろそれは自分自身を試し、鍛えるよいチャンスになるのです。

 この放送をお聞きのあなたも、今春の受験を目指して黙々と日夜備えておられる1人かもしれません。もしそうであれば、あなたは成功への自信をかためるためにどのような努力を積んでおられますか? 無論充分な勉強が為されなければいくら自信をつけようとしても駄目です。一方、せっかく相当な実力を持っていながら、試験場であがってしまい、さんざんな失敗を経験する人も少なくないのです。こう考えてくると、度を過ぎた自尊心はうぬぼれと何ら変わることがありませんが、健全な自尊心をもつということは、私たちに必要なことだと思います。

 ニューヨークの牧師、ノーマン・V・ピール博士は、正しい自信を持つための具体的な方法として次のように提案しています。
「あなたの心に、あなた自身の成功の場面を組み立て、そして、それを消す事のできないように強く印象づけなさい。この場面を粘り強く持ち続けなさい。決してそれを曇らせてはならない。あなたの心は、この場面の図を発展させたいと思うようになるだろう。決して、あなた自身について失敗を考えてはならない。決して心に描いた図の現実性を疑ってはならない。疑うことは最も危険なことである。何故なら、心は常にその描いたものを完成しようと試みているのだから。このようにして、常にどんなまずいことがその瞬間に起こるようにみえようとも「成功」を心に描きなさい。」

 ところで、こうした自信にみちた態度というものは、いきなりうまれるものではありません。何によらず、悲観的に物事をみようとする人が急に楽天的になるということはありえないと思います。どうしても強い確信をもつためには、そうあることが心の習慣にならなければなりません。一旦、そうした習慣が出来てしまうと、今度はたとえ困難な事情の下におかれても、なお積極的な考え方を持ち続けることが出来るのです。

 こうした習慣を身につける最善の方法をあなたにお教えいたしましょう。それは祈るということです。それは苦しい時の神頼み式のものではなく、「我、神の御手にあり」といった、すべてを神の御手に委ねた祈りです。こうした祈りこそ必要な力は神が必ず備えてくださる、という確信に裏付けられています。

 十六世紀のスコットランドの信仰の闘士、ジョン・ノックスは徹底した祈りの人でした。当時、彼は横暴なメリー女王にひどく迫害されましたが、いつも祈りによって勝っていました。さすがの暴君も、ノックスの祈りを非常に恐れ、ヨーロッパの全軍隊よりも彼の祈りの方がはるかに恐ろしいと言いました。ある夜、猛烈な迫害の中に、もはや生命もおぼつかなく思われたときに、ノックスは友達と共に祈っていました。すると急に彼は叫んで、「救いは来た」と言いました。無論それがどういう風にして来るかわかりませんでした。けれども間もなく女王メリーは死んだとの通知が届いたのです。

 聖書にこうあります。

 そして、わたしたちが願い求めることは、なんでも聞き入れてくださるとわかれば、
 神に願い求めたことは、すでにかなえられたことを知るのである。
 <ヨハネの第一の手紙5章15節>

 あなたも、信仰と祈りによって、主イエスと共に来るべき試験に、また人生の試練に立ち向われませんか。