■質問
ぼくら青年にとって、一番の関心事は、何といっても友人関係だと思います。良い友人に恵まれたいと願いつつ、生来、社交性の無い僕はどんどん仲間から置き去りにされていくような気がします。こんな人間関係の悩みを持っているのはぼくだけではないと思います。何か具体的な助言が欲しいのですが・・・。 |
■答え
はい、これは私自身の悩みの種でもありましたので、お気持ち、身につまされるようによく分かります。勿論、友情の本質から論ずることもできましょうが、ご注文が具体的な助言ということですので、その線に沿って、お話することにいたします。
さてある日のこと、京都にあるバプテスト病院の廊下を歩いていると、わたしの目にとまったのが、「よりよき人間関係のために」と題する貼り紙でした。誰が書いたのか知りませんが、その一つ一つが実に率直な暗示に富んだ教訓であるのに驚きました。私は廊下に立ったまま、深い反省と感謝をもって、それをノートに書きつけたのです。
1.人に話しかけなさい。人から気持ち良く話しかけられるほどうれしいことはありません。
私がアメリカに参りました時、まず感心したのが、彼らの底抜けに明るい挨拶でした。勿論、大都会では、そうした気風が大分、すたれているようですが、奥深く南部諸州に入るに従って、それはそれは親しみある挨拶を見知らぬ人からも受けました。街を行く老人もお巡りさんも、子供達も、まるで10年の知己のように親しく話しかけてくれるんです。一人住まいのおじいさんが、外国に来て、心細いだろうと言って、わざわざ私を自分の家に招いて、手作りの中国料理をご馳走してくれたこともありました。そんな思い出が私の人生をどれほど豊かにしてくれたかわかりません。孤独で、背が低く、木の上から主イエスの一行を見下ろしていた収税人ザアカイに、主イエスはこう語りかけられました。<ザアカイよ、急いでおりてきなさい。今日あなたの家に泊まることにしているから。>(ルカによる福音書19章5節)そこでザアカイは急いでおりてきて、大喜びでイエスを迎え入れたのでした。黙っていてはだめですよ。人に話しかけなさい。
2.しかめ面をするには六十五の筋肉を動かさねばなりませんが、微笑むのはたった十五の筋肉を動かすだけでよいのです。だから人に微笑みかけなさい。
スマイル、これほど相手の心を和やかにするものはありません。或る晩、私は深夜便の飛行機で東京に参りました。午前三時半、千歳発の機内に入る時、いつものことながら、私たち乗客は美しいスチュワーデスのスマイルに迎え入れられました。乗客が前後不覚に眠りこけている機内で、彼らのスマイルを伴ったサービスは午前六時、機が東京空港に着くまで続けられました。あの微笑みがどれほど乗客達の不安を取り除くかしれないのです。
微笑み、それは神が私たちの正しく明るい人間関係を促すために与えたもうた小道具のようなものだと私は思っています。もっともせっかくの微笑みも、心そのもの、豊かさと柔和さから発したものでなければ、おたふくのお面を変わりませんがね。
<柔和な人達は幸いである。彼らは地を受け継ぐであろう。>(マタイによる福音書5章5節)
3.人に会ったら、名前を呼びなさい。その人の耳には自分の名前を呼ばれるのが一番美しい音楽に聞こえます。
十数年前、一人の留学生として十四日にわたる船旅を終えてロスアンジェルスに上陸する時、私には出迎えに来るはずの人は誰もいませんでした。船が港に入ると、甲板の上から私は目を皿のようにして、その晩泊まる適当なホテルがあるかどうか、陸地の建物を眺めまわしたり、羨ましく岸壁で出迎えられる人々を見下ろしたりしていました。ちょうどその時、船内アナウンスが響き渡りました。「ミスター・ワタナベ、ミスター・ワタナベ、出迎えの人がお見えになっています。」と。それはわたしのアメリカ人の友人がわざわざ遠方から連絡を取ってくれた韓国人牧師、金東明師(有名な安利淑女史のご主人)でした。当時、まだ師とは一面識もありませんでしたが、彼は改めて、私の名前を呼び、にこやかに握手をしてくれました。主イエスは常に人々の名を呼ばれました。あなたも人に会ったら、その人の名前を呼んであげなさい。
4.親しみの心を持って、人には絶えず役立つ事を心掛けなさい。友達が欲しければ、友達らしくしなければなりません。
旧約聖書の箴言には<世には友らしい見せかけの友もある。しかし、兄弟よりも頼もしい友もある。>(箴言18章24節)とあります。実際、よき友を与えられていることくらい心強いことはありません。だが、ある方は、「いや、自分には欲しくてもいっこうに友達が出来ない」といわれるかもしれない。これは、あなたの人生にとって大きな損失です。では、どうすれば友達が出来るでしょうか。これに対して、先ほどの教訓が雄弁に答えてくれます。「友達が欲しければ、友達らしくしなければなりません。」主イエスはあなたの真の友となるために、あなたの身代わりとして十字架上に死んでくださったのです。あなたも日常生活を通じて、少しでも隣人の役に立ちたいと願ってごらんなさい。その時、その隣人はあなたの友となることでしょう。
5.他人の感情をお察しなさい。思いやりは嬉しいものです。
この点について思い当たることはありませんか。私たちはよく「ありがた迷惑」という言葉を耳にしたり、口にしたりしますね。この教訓の張り紙があったのは、病院の廊下でしたから、なおさらその一語一語が実際的な響きを持っていたと思います。私は病院の方をお見舞いする場合、慰めたい、励ましたいという気持ちが先に立って、つい長居をし、後から深く反省させられることがあります。親しい友、ラザロが死んだ時、主イエスはその姉妹達が泣いているのを見て、ご自分も涙を流されました。そのさまを見たユダヤ人たちの言葉が聖書に出ています。<ああ、なんと彼を愛しておられたことか。>(ヨハネによる福音書11章36節)主イエスの涙は、そこに居合わせた悲しみにくれる人々にとって、何物にも代え難い慰めを与えたに違いありません。人々はあなたの思いやりに感謝することでしょう。
6.他人の意見を尊重しなさい。論争には三つの面があります。自分の意見、他人の意見、それと正しい意見です。
これは実に穿った見方ではないでしょうか。私たちは相手と議論する時にやっきになって、自分の主張を通そうといたします。それは、自分の意見の他に正しい意見はないと思うからです。また、相手も同じような理由で一向に譲歩しようとしません。これではいつまでたっても平行線で、最善の結論に至る事は不可能でしょう。職場や学校での討論会ならいざ知らず、真の一致点を見出したい大切な話し合いの場合には、なによりもお互いの謙遜な自己反省が必要だと思います。自分の意見、他人の意見、それと確かに正しい意見があるんだという、冷静でゆとりのあるお互いの態度が、実り豊かな一致に私たちを導いてくれるのです。主イエスも<わたしの思いでなく、みこころのままになさってください。>(マルコによる福音書14章36節)と父なる神に祈っておられます。 |
|
|