■質問
忙しい昨今で、なかなか思うように自分のしたいことをする時間がとれないのは私だけでしょうか。聖書を読みたい、ぜひ一度、教会にも行ってみたいと思いながら、忙しい毎日の生活に追われて、それを果たす事が出来ないでいます。このもどかしさを解消し、もっと張りのある生活を送りたいと思いますが・・・。 |
■答え
あなたと同じような悩みを持ち、その解決をあれやこれやと求めていらっしゃる方は意外に多いと思います。特に、私たち日本人は世界で最も忙しい人種として知られているようです。いつか聞いた話ですが、或る日本人がニューヨークに行き、交差点を渡ろうとすると、信号が赤に変わり、その赤い標識の中に、「ドント・ウォーク(歩くな)」とあるではありませんか。慌てた彼は、歩くかわりに走って交差点を渡ったというのです。これにはいささか誇張があるかもしれませんが、勤勉を誇る日本人を風刺したものだと思います。忙しい、忙しいと悲鳴を上げる現代人のbusiness(仕事)は、busyness(多忙)だと洒落た人もいました。J.オズワルド・サンダース博士は、「時間が足りないということは本当だろうか」と前置きして、次のように言っておられます。「偉大な人物は、決して忙しいという自分の気持ちを他人に印象づけない。むしろゆったりとした感じを与える。非常に忙しくしているという印象を与えるほどの人は、たいてい非能率的な小人物である」と。勿論、時間の使い方について、処世訓的な、また、心理学的な分析による本やパンフレットは本屋の店先にいくらでも並んでいます。そして、それぞれ暗示に富んだ内容を持っていると思います。しかし、私たちのこの番組では、もっと根本的に時間というものを考えてみようじゃありませんか。この問題に答えてくれる最善、最高の書物があるとすれば、それこそ、神の言葉である聖書です。「へぇー、本当ですか。聖書にはそんなことまで教えてあるんですか」と驚かれる方がおられるかもしれません。そういう方は、もう一度、バイブルをお開きになることです。例えば、新約聖書のエペソ人への手紙5章16節には次のようにあります。<そこで、あなたがたの歩き方によく注意して、賢くない者のようにではなく、賢い者のように歩き、今の時を生かして用いなさい。今は悪い時代なのである。>ここで、<今の時を生かして用いなさい>というところは、本来、今の時をあがないなさいという意味です。すなわち、時は購入すれば私たちのものとなるのです。時はあがなわれ、買い取られるべきものなのです。
ところで時間とは一体何でしょうか。今、あなたの部屋で時を刻んでいる柱時計の音や、日時計の影の動きは、時間そのものではありません。それらは、私たちに時を示すための手段でしかないのです。普通、時間はいろいろな事が起こるに要する持続期間を言うのですが、本当に益になった期間こそ、時間と呼ばれるにふさわしいのではないでしょうか。この時間は神が私たちに委ねられている委託物なのです。さきほど、時間は買い取られなければならないと申し上げましたが、それは、具体的には、「時はいつの場合にでも有益なある活動、ある仕事と交換されるべきだ」ということなのです。今、あなたは賢明にも、この僅かな十五分間を霊的なこと、神のことを考えるために用いておられます。あなたはその幸いな行為によって、あなたの人生の一刻みである今の時を生かしておいでになるのです。
カナダのオズワルド・スミス博士は現代における最も優れた説教者であり、著述家です。彼はさきほど引用した<今の時を生かして用いなさい>という聖書の教えを、実際に生き生きとその忙しい日々の生活の中に実践しておられます。ここで、博士の体験談のひとつに耳を傾けてみましょう。「しばらく前、私は外科の大手術を受けました。しかし、回復期の五週間のあいだ、わたしはテープレコーダーを枕もとにおいて、全部で五冊の本を著しました。私のモットーの一つは『時は短し、仕事は多し』です。人生はしょせん短いものです。しなければならないことが山ほどあります。私たちはどうして怠けていることができましょう。火の玉のようになって、神のために働こうではありませんか。」
わたしが旅行に出る時、家内は旅行用具や下着などが無造作に詰め込まれた私のかばんを整然と詰め替えてくれます。そして、その場合、私は魔法のように他にもいろいろなものを入れる余地が生ずるのを驚きをもって見るのです。
ご一緒にもう一度計画を立て直し、人生における最も大切なことのために、より多くの時間を生かすものとなりましょう。 |
|
|