■質問
私は一度、教会の礼拝に出てみたいのですが、中々、その勇気がありません。でも、今年こそは、そういう機会を自分から作り出したいと思います。ところで、私のように小心なものは、はじめてのところへ行って、どぎまぎしやしないかと心配です。是非、私のような者のために、礼拝での心得のようなものがありましたら、お教え下さいませんか。 |
■答え
私も、あなたが、一日も早く教会の礼拝に出席され、礼拝での喜びを味わわれることを期待いたします。
未だ、一度も教会にいらしたことのない方は、予め、その教会の礼拝の日時を確められる必要があります。直接、行こうとされる教会に電話をされることが、一番、手っ取り早いと思います。しかし、大抵のキリスト教会では、毎日曜日の午前十時又は十時半頃から、聖日礼拝を行っています。又、日曜日の夜七時頃からタベの礼拝を行っているところが多いですが、最近土曜日の夜、集会をもつ教会もふえているようです。
今あなたが、はじめて、教会の入口に立たれたと仮定いたしましょう。会堂の玄関には、まず、受付の係がいて、週報や、新来者カード等を手渡してくれます。聖書や讃美歌の備付もありますから、お持ちでない場合は、遠慮なくお申し出下さい。
会堂に入られましたら、礼拝が始まる迄の時間、静かに瞑想し、又は、祈りながら、礼拝にのぞむ心の準備をいたしましょう。この神を待ち受ける態度は、死んだような恐怖の静けさでなく、日の出を待つようなものである筈です。旧約聖書の詩篇に次のようにうたわれています。<わたしは待ち望みます。わが魂は待ち望みます。そのみ言葉によって、わたしは望みをいだきます。わが魂は夜回りが晩を待つにまさり、夜回りが晩を待つにまさって主を待ち望みます。>(詩篇130章5〜6節)
英語で、朝の礼拝を、モーニング・サービス、タベの礼拝をイブニング・サービスと呼びます。このサービスとは、他でもない、礼拝者であるあなたが、神に奉仕するという意味に他なりません。先日、お正月の休みに、私たちの家族は、或るクリスチャンの家庭に招かれ、楽しい時を過してまいりました。そのお宅の奥様は、いろいろと御馳走をして下さったり、御主人と共に、私たちのために、細かいところまで気を配って下さいました。しかし、何よりも嬉しかったのは、一家をあげて、私たちの来訪を喜び、歓迎して下さったことです。あなたが臨まれる教会の礼拝で一番大切な点は、私たちが一切のお客様気分を捨てて、神さまを御招待するということです。礼拝全体を通じて、ほめたたえられるのは、私たちでなく、神御自身です。よく、礼拝気分などということを耳にしますが、私たちの感情や気分で、神への奉仕が、なおざりにされることにでもなれば、大変なことです。
荘重なオルガンの奏楽で始められた礼拝のプログラムの中で、会衆は心からなる賛美歌を神にささげます。歌が上手とか下手とかは二の次の問題で、要は、たとえ、音階に遠くあっても、天国に近い、信仰の歌を神に捧げることであります。
特に、プロテスタントの教会において、礼拝プログラムの頂点は、みことばの宣教、すなわち、説教です。パウロはテサロニケ人への第一の手紙2章13節で <これらのことを考えて、わたしたちがまた絶えず、神に感謝しているのは、あなたがわたしたちの説いた神の言を聞いた時に、それを人間の言葉としてでなく、神の言として――事実そのとおりであるが、――受けいれてくれたことである。そして、この神の言は、信じるあなたがたのうちに働いているのである> と記しています。ドイツのウイッテンベルグの教会の聖壇の中央に、ルカス・クラナッハという十六世紀の画家のかいた絵があるそうです。その絵は中央に大きくキリストが十字架にかかっておられるところをあらわし、右端にルーテルが説教しているところをかき、左端に説教を聞いている会衆を描いています。これは、説教というものがどんなものであるか、よく示していますね。そうです! 説教の中心はキリストの救であり、説教者は、これを説かねばなりません。そして、会衆も又、キリストの十字架を仰ぎ、説教者をみてはならないのです。
あなたも又、この礼拝と賛美の群に、参加されることを祈ります。 |
|
|