第三章 教理篇 ● 10.永遠の生命について
■質問
 先生のお話を聞いていると、時々、「永遠の生命」ということを申されますね。実際、人生において、私たちが死んでからの、それを越えた生活があるなどということはどうもよく分かりません。この点についてお話して下さい。
■答え
 第一に、私たちは永遠の生命を頭に描き出すことは出来ません。私たちが心に描くものは、いつも地上的なもの、過ぎゆくもの、人間的なものです。もし私たちが神の言葉である聖書を持たなかったら、永遠の生命については、何一つ知らなかったでしょう。たしかに、人間の誰もが生まれながらに持っている生命は、死によって断たれてしまうのです。それは、いわゆる自然的な生です。それはただ外面的な生に過ぎません。かつて、チューリッヒ大学の教授であり、日本のクリスチャンに馴染み深かったエミール・ブルンナー博士は、この自然的生とは対照的なもう一つの生命について、次のように申しておられます。「真実ならざる生の背後におどり出したいと待ち望んでいる、もうひとつの生があるのです。そうしてそれは、すでに一度現れたのであります。すなわち、イエス・キリストにおいて、復活されたところの彼において現れたのであります。…このもうひとつの生命はすなわち永遠の生命であります。」

 或る人達は、永遠の生命を単なる霊魂不滅のもう一つの呼び名としか考えていないようです。わたしがまだ神学生であった頃、教授に頼まれて、わたしと同姓の渡辺さんという青年死刑囚に会った事がありました。その朝のことを、今でもありありと思い出す事が出来ます。金網越しに、看守に付き添われて、私の前に座った彼は真剣な面持ちで開口一番こう尋ねました。「あのー、霊魂は不滅なんでしょうね。」 いつ刑の執行があるかもしれぬ彼にとって、それは実に重要な質問であったと思うのです。 後に彼は入信され、クリスチャンとして希望に満ちてこの世を去られました。

 ところで、永遠の生命が、単なる霊魂不滅であり、この現在の生命の無限の継続であるなら、それはおそらく地獄でしょう。永遠の生命とは、この生命とは全く違った生命です。この生命は神による生命であり、神の中にある生命であり、神から出る生命です。従って、私たちは神から受けなくては、永遠の生命にあずかることは出来ないのです。それはキリストの十字架により、罪の赦しを与えられ、彼の復活に預かって死の力から解放されて、はじめて可能なのです。このように、与えられる永遠の生命は死ぬべきもののもっている一切の性質を除いた生命であり、罪あるもののもっているあらゆる性質を除いた生命でもあります。

 新約聖書のヨハネによる福音書17章3節に次のようにあります。 <永遠の命とは、唯一の、まことの神でいますあなたと、またあなたが使わされたイエス・キリストを知ることであります。> これは永遠のいのちの定義というよりは、それにあずかる唯一の道を示しているという方が正しいでしょう。


 1916年夏、第一次世界大戦の最中に、ヴェルダンの前方で戦死したヨハンネス・ハンスというドイツの一青年が、彼の両親に書き残した短い遺書の中にこうあります。
「1916年6月1日、愛する御両親様! 僕は腹部銃創を受けて倒れています。死ぬに違いないと思います。天に帰る準備をする暇がまだ少しあるのを喜んでいます。愛する御両親様! ありがとうございました! 御機嫌よく。ハンス」

 ここにも死を恐れぬ永遠の生命の体験者がいます。

 永遠の生命は、あなたが、神の独り子、救い主イエス・キリストを信じ、彼を心に迎え入れる時、実にその時から、受け始めることの出来る恵みです。一刻も早く、あなたも、決して死の損なうことの出来ない、この永遠の生命の継承者となられるよう祈ります。