第三章 教理篇 ● 3. 三位一体の神とは
■質問
 実際、この三位一体の教理程、私たちにとって分りにくいものはないと思います。今回は、ひとつ、この点について、わかり易く、説明していただけませんでしょうか。
■答え
 はい、この教理は、時に、非聖書的であるとか、非理性的であるとかいって攻撃されたこともありますが、最近、その意味が再び新らしい角度から論議され、評価されるようになってまいりました。ですから、こうして御一緒に、この問題に少しでもふれることは、大変、意義深いことだと思います。
 
 では、三位一体とはどのようなことかを簡単にお話しいたしましょう。それは、私たちの信ずる主なる神は、その存在のあり方として、父、子、聖霊として御自身をあらわし給うけれども、あくまで、一つなる神の人格であるということです。これは決して、ひからびたキリスト教の教理として取扱われてはなりません。

1.聖書の裏付け  たしかに、聖書には、三位一体というような表現は用いられていませんが、明らかに、この霊的な事実を多くの箇所で裏付けているといえます。マタイによる福音書28章19〜20節を見ると、主イエスさま御自身が、その弟子たちに向って、次のように言っておられます。<それゆえに、あなたがたは行って、すべての国民を弟子として、父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施し、あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。> ここに、三位一体という表現ではありませんが、父と子と聖霊という呼び名が用いられていますね。あなたが教会に行かれたとき、礼拝の最後にあたって、牧師先生が祝祷をされたのを覚えてらっしゃるでしょう。あの祝祷は多くの場合、新約聖書のコリント人への第二の手紙13章13節の一節が、そのまま用いられているのです。そこに、こうあります。<主イエス・キリストの恵みと、神の愛と聖霊の交わりとが、あなたがた一同と共にあるように。> ここでも、三位一体なる神という直接の言いまわしはありませんが、キリスト、神、聖霊というように並べられています。主イエスのうちにも、パウロのうちにも、既に、はっきりと三つにいまして一つなる神の御姿が描き出されていたということが出来ます。

2.信仰経験による裏付け  私たちは、自分自身の信仰の体験を通じて、その信ずる神が、父、子、御霊として御自身をあらわし給う、唯一なるお方であることを知ることが出来ます。あなたが、もし、既にクリスチャンであられるならば、神がイエス・キリストにおいて、あなたに出会われたということをよく知り、体験していらっしゃいますね。このように、神は真実の御子にいます、キリストのうちにいらっしゃるのです。しかし、神は又、御子を遣わす父として理解されますね。さらに、神は信ずる人々の心を開く、聖霊として知られるのです。

 少し、理屈ぽくなりましたが、三つにいまして一つであるということを御理解いただくために、身近かな譬を用いさせていただきましょう。

 あなたにとって、お母様は、あくまで母ですね。しかし、あなたのお父様にとって、お母様は、あくまで妻でしょう。更に、お母様の友人からは、彼女は友と呼ばれますね。しかし、お母様が何人もおられる訳でなく、唯、一人のお母様がいらっしゃるのみでしょう。神は、御自身を、父なる神、子なる神、聖霊なる神として、あらわされていますが、あくまで、唯一の神のみがおられるのです。

 これは、キリスト教の教理、すなわち、教えの筋道の中で最も理解しにくい奥義であるということが言えるでしょう。しかし、御子のうちに神を見出している凡てのクリスチャンにとって、それは頭で理解出来ずとも、信仰をもって心で受け止めている霊的事実なのです。よく歌われる讃美歌66番に次のようにあります。

  聖なる、聖なる、聖なるかな、
  三つにいまして、一つなる
  神の御名をば あさまだき
  起きいでてこそ ほめまつれ

 あなたも、この神を信じ仰がれることです。