第三章 教理篇 ● 7. 実にイエス・キリスト甦り給えり
■質問
 わたしはイエス・キリストの十字架の歴史性を認めることは出来ますが、キリストの死人からの復活についてはどうしても理性的に考えることが出来ないのです。先生は本当にそのことを信じていらっしゃるのですか?
■答え
 勿論です! 聖書の福音には二つの重要な柱があると言えましょう。その第一は言うまでもありませんが、キリストの十字架の贖いです。そして、第二がキリストの死人よりの復活です。そのいずれが欠けても、真の福音のメッセージということは出来ません。もし復活がなければ、カルバリ山上のイエス・キリストの十字架は不気味な空間に描かれた巨大な疑問符、クエスチョン・マークでしかないのです。

 パウロはコリント人への第一の手紙15章20節で <しかし事実、キリストは眠っている者の初穂として、死人の中からよみがえったのである> と勝利の叫びをあげています。勿論、信仰の目をもってしなければ、復活の主を仰ぐことは出来ません。ただ、人間の理性だけで、キリストの復活を説明したり、理解したりすることは出来ないのです。

 昔、ロシアにナチャルスキーという文部大臣がおりました。彼はある日のこと、大勢の聴衆を前にして講演をしていました。偶々、彼はキリスト教のことを引き合いに出し、「諸君の中に、キリストが死人の中から甦ったという、あの子供だましの陳腐な作り話を信じている人はいないでしょう」と言いました。その時、一人の男が立ちあがり、「実に主イエスは甦り給うた!」と叫びました。そして次の瞬間に、人々は一斉に席を立って、彼に唱和したと言われています。

 昔から、いろいろな反対論が生まれ、キリストの復活の事実を拭い去ろうとしました。或る人々は、イエスの体は墓の中から弟子達によって、巧妙に運び去られたのだと主張します。また、他の人々は、イエスは完全に死んだのではなく、気絶していたので、墓の中で蘇生したのだと申します。比較的、新しい反対論者達は、生前、イエスの強い人格的感化を受けていた弟子達が、あたかもイエスが生きているかのような幻覚を抱いたのだと説明します。このように二千年来、多くの反対論者が起こりましたが、一度として、イエス・キリストの復活を否定し去ることは出来なかったのです。何故か。事実、キリストが死人の中から甦ったからに他なりません。

 キリストの復活を客観的に証明するいくつかの身近な証拠が考えられます。

 第一にキリスト教会の存在です。もし、主イエスが十字架の上で死に絶えてしまわれたなら、どうして二千年後の今日に至るまで、これほど多くの信仰者の群れが、教会が、地球上に存在する事がありましょうか。主イエスが甦られ、永遠に生き給うゆえに、キリストの体なる教会は滅びることがないのです。

 第二に、週の始めの日にクリスチャンが礼拝するという事実です。本来ユダヤ人にとって、聖日は週の終わりの安息日であることは、あなたもご存知の通りです。同じユダヤ人であったイエスの弟子達が、その聖日を安息日から週のはじめに移したのには特別な意味があったのです。言うまでもなく、主イエス・キリストの復活が週のはじめの日に起こったからです。クリスチャンは二千年来、このキリストの甦りを記念して日曜日に教会に集まり、礼拝を守るのです。

 第三に、新約聖書です。ジェームス・デニーという聖書学者はこう言っています。「新約聖書のここかしこに、イエスの復活への言及があるというのではない。新約聖書のすべての頁がキリストの復活の光に輝いているのである。」と。これはまさに名言と言えましょう。

 このイエス・キリストの復活があって、はじめて、 <見よ、わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいるのである。>(マタイによる福音書28章20節) との主イエスのお約束はあなたのうちに成就するのです。また、人生最大の敵である死に勝利する希望が与えられます。そうです! あのキリストの復活の朝、死が死んだのです。