■質問
クリスチャンの詩人として有名な八木重吉氏の詩集を読んでまいりますと、このようなのがございます。「彼は言った。自分は再びこの世へ来ると。わたしはキリストより正直な者があるとは思えない。わたしは彼が再び来ることを信ずる」と。一体、これはどのようなことなのでしょうか。キリストが再び来るといった大予言が聖書にある訳なのですね。こうした点について、お話してください。 |
■答え
ただいま、八木重吉さんの短い詩を伺っていると、病気と闘いながら、その生涯を生きぬいたこの詩人の中に、「キリストが再び来られる」という希望の信仰が脈打っているのが感じられますね。私たちはこれをキリストの再臨と呼んでいます。実はこの再臨の信仰こそ、キリスト教が真の意味で希望の信仰であり、何よりの証拠なのです。ルネ・パーシュ博士の書かれた「キリスト・イエスの再臨」という本の中で、著者は、この重大な預言のために、聖書の旧約の部で約千五百二十七節が、また新約の部で三百十九節が割かれているといっています。
もし聖書をお持ちなら新約聖書のヨハネによる福音書の14章1〜3節をご覧下さい。<あなたがたは心を騒がせないがよい。神を信じ、またわたしを信じなさい。わたしの父の家にはすまいがたくさんある。もしなかったならば、わたしはそういっておいたであろう。あなたがたのために場所を用意しに行くのだから。そして、行って場所の用意ができたならば、また来て、あなたがたをわたしのところに迎えよう。わたしのおるところにあなたがたもおらせるためである。> おそらく詩人の八木重吉さんの心の中に、このイエスの御言葉が焼きついていたのでしょう。
主イエスはご自身が世の終わりに再び帰られることについて弟子達に少なくとも三つのことを期待されています。
第一に、世の終わりのしるしに注意することです。マタイによる福音書24章をご覧になると、そこにそのしるし、前兆として、多くの偽キリスト、偽預言者の出現、引き続いて起こる戦争、ききんや地震のような天災、クリスチャンへの迫害、それに全世界におよぶ福音の伝道のことがあげられています。私は限られた時間内にこれらの内容を詳しく説明できません。どうかあなたがご自分で聖書をひらき、これらの預言をよく学んでください。
第二に、主イエスはいつ御自身が来られるかも分からないから<目をさましていなさい>と命じられています。もし、この世の終わりが、キリストの再臨がいつであるかということがわかっていたら、「それまでちょっとひと休み」ということになるかもしれません。しかし、主イエスは思いがけぬ時に来られると聖書は繰返し警告しているのです。アメリカの有力な伝道者D・ムーデーはこういいました。「わたしは次の説教をする機会がそなえられる前に、主が来られるかもしれないと考えないで説教したことは一度もない」と。
第三に、主イエスは最後の日に備えて、私たちが用意することを期待しておられます。あなたは神に会う準備がお出来になっていますか。ジェームス・スターリングは毎日のように酒浸り、朝から居酒屋を飲み歩きました。妻の忠告も馬耳東風、酒臭い息でくだを巻きながら、家族中のものに当り散らし、妻は涙が乾く間もありませんでした。ある時、いつものようにひどく酔っ払って帰って来てみると、妻は子供達を相手に聖書を開いて家庭礼拝をしています。彼はこれを見た瞬間、自分に対する面当てのような、また取り残されたような複雑な感情にみたされて中に割り込んだのです。「オイッ、何をしてやがんだ!」妻は丁度、マタイによる福音書25章の「キリストの再臨」のところを子供達に説明していました。「イエスさまはこの世の終わりに沢山の天使を引きつれて来られ、世界中の人を審かれるのよ。ちょうど羊飼いが羊と山羊を分けるように、羊のように善い人は右に、山羊のように悪い人は左にとおわけになるのよ。そして右の善い人は天国に入れてお救いになり、左の悪い人は地獄に落として滅ぼしてしまうのよ。」母の膝でじっと聴いていた末っ子のトムは母親の顔をみあげて聞きました。「だったら、うちのパパは山羊なの?」このあどけない質問に母親は唖然とし、父は愕然としました。ジェームスは怒りませんでした。いな、怒れなかったのです。この一言が雷のように全身を打ったからです。ジェームスはわが子の言葉のうちに、神の言葉を聴いたのです。それ以来、彼は一滴も酒を口にしませんでした。彼は真に悔い改め、キリスト・イエスの十字架を信じ、全く新しく生まれ変わったのです。
今、あなたもまた、世の終わりがいつ来るかも知れぬ時に、神に、キリストに会う準備をなさってください。アーメン。 |
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